第8章 波瀾の生涯
東大を非職となった矢田部は、その4年後に英語担当の教員として高等師範学校へ移ります。以降、同校の校長を務めるさなかに不慮の水の事故で世を去るまで、植物学研究にかかわることは公には二度とありませんでした。つまり大学を閉め出されたのです。
背景には、大学における上司・同僚との不和がありました。親友・外山正一によれば、その不和を招いた原因のひとつには、他者への批判をところかまわず直言する矢田部自身の「激烈な性質」が挙げられるといいます。葬儀にあたって寄せられた弔辞の数々には、こうした矢田部の波瀾の履歴が、そのまま反映されていると言えるでしょう。
嘉納治五郎からの手紙/Letter from Jigoro Kano
年代不詳/unknown
柔道家として知られる嘉納は、矢田部が高等師範学校教授となったときの同校校長であった。両者には以前から交流があったようである。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
ジョーダンに宛てた手紙の下書き(推定)/(Presumed) Manuscript of a Letter to David S. Jordan
明治28年/1895
ジョーダンはアメリカの魚類学者で、当時、スタンフォード大学の初代学長。高等師範学校の英語教師として適当な人物を紹介してほしいと依頼している。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
明治32年日記/Diary for the year 1899
明治32年/1899
亡くなった年の日記。高等師範学校長となっていた矢田部のもとには、学生や卒業生、入学・就職希望者、各地方の学校長などが訪れていた。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
高等師範学校英語専修科生徒代表による弔辞/Condolence letter from a Student of the Special English Course, Higher Normal School
明治32年/1899
矢田部の葬儀に寄せられた弔辞のひとつ。英語教育を受けた教え子からのもの。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
「嗚呼是理学博士矢田部先生之墓也……」/“Oh, this is the grave of Prof. Yatabe, Doctor of Science...”
明治36年か/ca. 1903
矢田部の墓石に彫られた碑銘の草稿。文面は、矢田部の一番弟子だった植物学者・齋田功太郎による。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science