第7章 教育と学問
矢田部の生涯は、学者としての研究活動とおなじほど、あるいはそれ以上に、教育活動、とくに学校の運営設立といった教育制度の整備改良に捧げられました。それは彼に、教育と学術研究は一体となって行われなければならないという基本的な考えがあったからです。
「教育と学問」と題する演説において矢田部は、教員がよりよい教育を行うためにも、その地位を保証し、専門分野を探究する時間を確保してやることの必要を説きます。またその意味で、「封建時代」の「身分安全」な環境で学問に勤しんだ江戸時代の本草学者の仕事には、かえって地位を得るためだけになされたのではない誠実さがあると評価しています。
「教頭ノ職務ニ付伺」/“Inquiry about the Duties of the Vice-Chair”
明治19年/1886
矢田部は東京帝国大学で、理科大学(現在の理学部)の「教頭」を務めていた。この文書では、学長と教頭の職務上の関係を明確化するよう要望している。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
第二回中学校師範学校教員免許学力試験委員の辞令/Appointment of a Member of Committee for the Second Certifying Examination of Secondary and Normal School Teachers
明治19年/1886
大学だけに限らず、教育に関係するさまざまな仕事をしていたことがうかがえる資料のひとつである。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
「矢田部良吉博物館長兼任ノ件」/“On Appointing Ryokichi Yatabe as Director of the Museum”
明治9年/1876
矢田部は「教育博物館」の前身にあたる「東京博物館」の時代から館長を務めた。これも教育にかかわる仕事のひとつと言えよう。
所蔵 : 東京大学文書館/The University of Tokyo Archives
「教育と学問」/“Education and Learning”
明治24年/1891
群馬県の「桐生教育会」における演説。この原稿は、矢田部資料中に複数存在する。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science
『本草図譜 巻之十』写本/Handwritten Copy of Honzo Zufu, Vol. 10
明治23年か/ca. 1890
岩崎灌園『本草図譜』(1828年成立)の部分写本。矢田部が若い頃に本草学を学んだ形跡はなく、ずっとあとに入手したものと見られる。
所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science