第5章 女子教育

留学のきっかけを作ってくれた恩人である森有礼が初代文部大臣に就任すると、その右腕として、矢田部は文教行政との関わりを深めます。なかでも女子の高等教育については、演説でその拡大を訴えるなど、以前から持論を有していたようです。

矢田部の主張は、儒教的な夫唱婦随を離れ、夫婦の対等な相補関係――ただし女性に良妻賢母であることを求める――を理想とする欧米風の夫婦観に支えられていました。しかしそれが行きすぎた西洋主義と捉えられたのか、東京高等女学校の校長就任以後、私生活を揶揄するモデル小説「濁世」が発表されるというスキャンダルに見舞われます。同校も、結局は廃止となりました。

「女子ノ教育」/“Women’s Education”

明治20年/1887

大日本教育会での演説を掲載した『東洋学芸雑誌』の記事。この内容はほかの複数の雑誌にも掲載され、注目度が高かったことがわかる。


所蔵 : 人間文化研究機構国立国語研究所/National Institute for Japanese Language and Linguistics

東京高等女学校卒業式式辞(推定)/(Presumed) Speech at the Graduation Ceremony of Tokyo Girls’ School

明治23年か/ca. 1890

東京高等女学校の卒業式で読まれた式辞の原稿と考えられるもの。


所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science

『國の基(国乃もとゐ)』発行定約書/Contract for the publication of Kuni no Motoi

明治22年/1889

『國の基(国乃もとゐ)』は、矢田部が中心となって立ち上げた女子教育雑誌。本資料はその出版・販売に関する契約書である。


所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science

『改進新聞』からの謝罪文/Letter of Apology from Kaishin Shimbun

明治22年/1889

小説「濁世」を掲載した新聞社から届いたもの。矢田部はこの新聞を名誉毀損で訴えていた。


所蔵 : 国立科学博物館/National Museum of Nature and Science