第六章 むすび

菌類図譜とは熊楠にとって何だったのか

熊楠は、帰国後、隠花植物の採集に精を出しました。アメリカ、イギリスでの採集経験から、日本が欧米にまさる生物多様性を持っていたことに熊楠はすぐ気づいたはずです。しかし、肝心の生物の名前を知るためには、先人の研究成果が必要です。熊楠は世界の専門家と連絡をとり、日本産の生物(特に、当時まだ調査が進んでいなかった隠花植物)の名前を調べようとしたものと思われます。その中には、リスター父娘との共同研究でうまく成果があがった変形菌のような例もありましたが、きのこに関しては、そのようには事態は進まなかったようです。かといって、日本に専門家がいるわけでもありません。熊楠は、次々に採集されてくる多様なきのこに記憶しやすようにとりあえず名前をつけ、自分の頭の中にきのこのデータベースを構築しようとしたのではないかと思われます。新種と解釈しているものが多いのはそのためと思われます。

萩原(2017)1は、「ロンドン抜書」、「田辺抜書」のように、菌類図譜を「自然界からの抜書」であると解釈しましたが、私もこの考えに賛成です。自分の頭の中に入れた多数のデータをいつでも引き出せるようにするため、熊楠は、記憶に残りやすい五感~味覚・触覚・視覚・嗅覚・聴覚~(きのこは鳴きませんから、聴覚だけは使えないかもしれませんが)と、誰がいつどこで採集したのか、という情報を執拗に記録し、それぞれのきのこに付随する「物語」を記憶しようとしたものと思います。また、互いのきのこの情報が参照できるように、「参照せよ」の情報を充実させ、情報を互いに関連させ、堅固なものにしようとしたのではないかと考えられます。

日本の菌類の多様性は、帰国した熊楠が当初予想したものを遥かに超えていたと思います。カードもコンピュータもない時代、データベースのような便利な道具がなかった時代に、果てしない多様性もった情報源と対峙し、試行錯誤しながらそれをものにしようとする挑戦、それが熊楠にとっての菌類図譜だったのではないでしょうか。

今後の研究の展開

熊楠の菌類図譜は、いままで部分的に公開されてきましたが、文字情報までを含んだデータがウェブ公開されるのは初めてです。図譜については、すでにその採集データに基づいた熊楠の行動について考察がなされています2。また、すでに代表的な図譜に関する研究もあります3, 4。図譜全体のより完全に近いデータベース化によって、熊楠が収集したきのこについて検討がなされることが期待されます。

デジタル化によって情報の互換性は飛躍的に向上します。菌類図譜とは独立に翻刻・デジタル化が進められている日記や書簡など、他の材料とのリンクによって、新たな解釈が与えられることが考えられます。今後の展開に期待がもたれます。

引用文献

  1. 萩原博光. 2017. 菌類彩色図譜は自然の「抜書」だった. BIOCITYビオシティ 2017年70号
  2. 岩崎仁. 2020. 南方熊楠データベース 文理統合・双方向型デジタルアーカイブ デジタルアーカイブベーシックス3 自然史・理工系研究データの活用.勉誠出版 pp.155-174.
  3. 小林義雄・大谷吉雄・萩原博光.1987.南方熊楠菌誌(第一巻)鳥海書房・八坂書房 pp. 177.
  4. 小林義雄・萩原博光.1989.南方熊楠菌誌(第二巻)南方文枝 pp. 381+7(index).

南方熊楠和服正装姿・写真

熊楠・昭和時代, 1929.5.24
所蔵 : 南方熊楠顕彰館/Minakata Kumagusu Archives